ニュースリリース

「Zhang論文の信頼性」に対する江馬眞先生のご意見と可塑剤工業会の見解
~DEHP(DOP)が化審法下でリスク評価Ⅱに進んだその根拠論文とは~

1. 概 要
Zhang論文1)はDEHPの改正化審法リスク評価Ⅰの審議で最小有害性評価値(D値*)変更の根拠となり、リスク評価Ⅱ移行の決め手となった文献である。可塑剤工業会では、リスク評価Ⅱの審議が始まる前の2024年3月末までに、審議対象となる可能性が高いZhang論文を含めたDEHP有害性評価のための候補文献を選択し、内容を抽出する作業を進めている。その手始めとして、Zhang論文の内容については既に可塑剤インフォメーションNo.32に解析結果として、「リスク評価Ⅱのキースタディとするには実験内容の信頼性が低い」との見解を公表している。今回、元 国立医薬品食品衛生研究所安全性生物試験研究センター総合評価研究室室長(名誉所員)江馬眞先生に依頼し、Zhang論文の信頼性についてご見解を伺ったので、その概要をここに紹介する。以下に示す4項目の視点より判断し、「リスク評価Ⅱのキースタディとするには実験内容の信頼性が低い」と評価された。
*D値:0.0001 mg/kg/day

1)実験に使用した動物の個体数が不明
2)極少量のDEHPをどのように投与したかの方法が不明
3)卵胞数の変化と生殖毒性との因果関係を示す報告はほとんどなく、発達段階の評価エンドポイントとして卵胞数のみでは評価不能
4)単用量の試験であり、用量反応相関性の評価が不能

本稿2.にZhang論文の実験内容、3.にZhang論文の実験内容の信頼性に対する江馬先生の見解を紹介する。DEHPのリスク評価Ⅱで適正な審議の一助となるべく、3.および可塑剤インフォメーションNo.32の記載内容をあわせ、関係省庁などへの情報提供含めた啓蒙活動を積極的に展開していく。

2. Zhang論文の実験内容
Zhang論文内容の概要を以下に示すが、3.「Zhang論文内容の信頼性に対する見解」に関係する部分には下線をつけた。
<文献概要>
雌マウスの交尾後(0.5日―18.5日)に0.1% のDMSOを含む生理食塩水に溶解したDEHP 40 μg/kg体重/日(極少量)を経口投与した交尾後12.5日に妊娠マウス(F0)の血清エストラジオールレベルを測定した。妊娠マウスは自然分娩させ、F1マウスを得た。選抜したF1雌マウスはDEHP非投与の雄マウスと交配させ、F2マウスを得た。生後21日のF1(子世代)及びF2(孫世代)マウスの卵巣の卵胞形成を調べた。さらに、F0及びF1マウスを交尾後13.5日に雌生殖細胞のバイサルファイトシーケンシング(DNAのメチル化定量)を行った。

DEHP投与群において、F0マウスの血清中エストラジオールレベルは低下し、F1マウス胎児における雌生殖細胞の減数分裂進行に遅延が認められ、未成熟の細糸期及び合糸期染色体の割合が増加し、より進行した厚糸期及び複糸期染色体の割合が減少した。交尾後13.5日には、減数分裂特異遺伝子(Stra8)の発現及び当該タンパクレベルが低下し、メチル化が進行していることが示唆された。生後21日のF1雌児の卵巣の病理組織学的検査では卵胞形成の変化、卵胞数の低下及び生殖細胞嚢胞が認められた。生後21日のF1及びF2マウス卵巣の原始卵胞の割合が低下し、二次卵胞の割合が相対的に上昇した。DEHP投与により卵胞形成関連遺伝子(Cx43, Egr3, Tff1, Ptgs2)の発現がみられた。これらの結果から、論文の著者らはDEHPが卵胞形成障害を引き起こすと結論している

3. Zhang論文内容の信頼性に対する江馬先生の見解
2. で記載したZhang論文を「リスク評価Ⅱのキースタディとするには実験内容の信頼性が低い」と判断された論拠を以下に記す。

1) 実験に使用した動物の個体数が不明
生殖発生試験の各種ガイドラインでの使用動物の最小数は、生殖/発生毒性スクリーニング試験(TG421)、反復投与試験と生殖発生毒性スクリーニング試験の併合試験(TG422)においては一群当たり最小10例である2)。ところが、Zhang論文では複数の実験結果の内、実験に使用した動物数に関する記載は母体血清中のエストラジオールレベル測定結果にn=5とあるのみで、当該試験の使用動物数及び各検査に用いた験体数の記載が全くない。発生毒性試験においては、通常の毒性試験とは異なり母体(FO)に被験物質を投与した後、投与されていない次世代以降の児(子世代F1及び孫世代F2)を検査するので、試験成績のばらつきはさらに大きくなることが知られている。従ってより信頼性のある結果を得るためには評価に必要な動物数の確保が重要である。仮に、Zhang論文で全ての実験において一群当たりの動物数が5例であるとしても、ガイドラインで規定されている動物数を満足していない。
また、Kimmel (2006)は少数の使用動物を用いた動物実験によるデータからは不十分な情報しか得られないと述べている3)。児の生後観察を行う場合、母体の栄養状態の影響を排除するために、一母体当たりの児数(通常一母体当たり8-10匹)を調整する4)。生殖発生毒性試験においては、同一母体の個々の胎児または児は完全に独立して化学物質に反応するのではなく母体の化学物質に対する状態に影響されるので、統計処理においては母体ごとの児の検査結果の平均値を統計単位(母体ごとの児検査値の平均値を群の値)として用いる5)。しかしながら、Zhang論文においては、児数の調整及び児検査結果の集計・統計方法についての記載はない。また、母体の影響を避けるために児の検査を行う場合には同一母体の児のみを検査するのではなく、群内の母体から均等に選抜した児を用いて検査を行う必要があるが、Zhang論文にはそのような記載もない。

2) 極少量のDEHP投与方法が不明
DEHPの経口投与用量が極めて少量なので、正確な投与を確実にするためには、通常(経口ゾンデを用いる強制経口投与、餌・飲水に混じて与える等)の経口投与方法とは異なる方法が必要になると考えられるが、投与方法の詳細についての記載がない。

3) 卵巣の卵胞数の発達段階の評価はエンドポイントとして不適
卵巣の卵胞数には個々の卵巣及び切片、測定者による大きな変動があり、卵胞数の変化と明確な生殖毒性との因果関係を示す報告はほとんどない6)ので、卵胞数の変化はリスク評価の単独のエンドポイントとして用いるべきではなく、他の生殖発生毒性の指標を含めて総合的に毒性を判断すべきである7)が、Zhang論文では生殖発生毒性指標についての記載はない。

4) 用量反応の相関がない
Zhang論文では各卵胞の百分率を示しているが、各種卵胞の測定実数は示されていないので、他の報告書との比較ができない。卵巣毒性検出には卵巣の病理組織学的検査が重要である7)が、Zhang論文では卵巣の病理組織学的検査結果は組織学的切片像がひとつ例示されているだけであり、生殖細胞嚢胞は対照群で17.50±1.41%、DEHP投与群で20.20±3.64%と記載されているのみで、統計学的な検討はされていない。投与物質による影響と用量の相関を明らかにすることは毒性を評価するための重要な基準である3)が、本報告は40 μg/kg/dayの単用量のみの実験であるので用量反応の相関に関する評価は不可能である。
上記を総合的に評価した結果、Zhang論文の結果からLOAEL(無毒性量)を40 μg/kg/dayとして最小有害評価値(D値)を設定することには大きな疑問がある。

5) データの信頼性
化学物質の有害性評価及びリスク評価においては、動物実験のデータの信頼性(Reliability:実験方法は標準的方法に基づいているか、結果は明解で、実験方法から導かれた結果として妥当か)を評価し、信頼性の高いデータが採用される。国際的に採用されている試験方法に従って実験が実施され、優良試験所基準(GLP、Good Laboratory Practices)に準拠した実験である場合、そのデータは信頼性があるとみなされる。有害性評価に用いる動物実験データの信頼性は、Klimischの論文8)を参考にし信頼性は以下の4つのコードに分類される。
コード1:信頼性あり
(国際的に認知された試験ガイドラインに従って実施された実験から得られたデータ。GLP下の実験が望ましい)。
コード2:制限付き信頼性あり
(試験ガイドラインに完全には一致していないが、科学的に許容できる実験から得られたデータ)。
コード3:信頼性なし
(コード1及びコード2以外の実験から得られたデータ。測定系と被験物質との間に干渉がある、非生理的な曝露経路である、実験方法が適切でない記述が不十分である等の報告から得られたデータ)。
コード4:評価できない
(記述が十分でない短い要約又は書籍、レビュー等の二次資料に挙げられているだけの実験から得られたデータ)。

定量的な有害性評価には信頼性コード1及び2のデータを用い、信頼性コード3及び4のデータは用いない。
実験データの信頼性を確認したのちに化学物質の健康影響評価を行うことは、OECD化学物質共同評価プログラム9)、有害大気汚染物質の健康リスク評価10)、化審法における人健康影響に関する有害性データの評価11)で行われている。ただ、上記のように、Zhang論文は試験動物数(各試験の標本数)、児の試験結果についての統計処理方法、卵巣の病理組織学的所見及び経口投与方法の詳細、母動物の一般状態や生殖発生毒性指標、各種卵胞の測定実数などに関する記述が無いか不十分であり、単一用量投与による試験であり用量反応相関が不明であることから、「リスク評価Ⅱのキースタディとするには実験内容の信頼性が低い」と考えられ、コード3に分類される(上記コード3の下線部が根拠)。
結論としてZhang論文は規制値を設定するためのキースタディとするのは適切ではないと江馬先生は判断された。

4. リスク評価Ⅱ審議方法と可塑剤工業会の見解
「化審法における人健康影響に関する有害性データの信頼性評価等について(改訂第2版)」11)では、リスク評価Ⅰまでに追加的に得られた有害性データの評価はクリミッシュコード1及び2のデータを用いるとしている。また、化学物質の有害性に係る既存知見のうち、既に専門家によりレビューされ、信頼性が評価されている情報源や有害性データを最大限活用し、それらについては基本的に新たな信頼性評価は行わないとしている。優先順位1に分類されているATSDR: Toxicological profile for di(2-ethylhexyl)phthalate (DEHP)(2022)12) においても、Zhang論文はMRL(最小リスクレベル)のワークシートでPrincipal Studyとして掲載されている(Appendix A, A13-A-16)。しかしながら、データの正確性を担保するためには、できる限り元論文を用いてデータの評価を行う必要がある。Zhang論文には上述のように信頼性の点で問題があり、しかも、卵胞形成に対する影響のみの記載で、肝心な生殖発生毒性に関する記載がない。リスク評価Ⅱの審議では、リスク評価Ⅰでは評価内容が不明である元文献内容の信頼性を公正に再評価されるべきと考える。

引用文献
1) Zhang X-F, Zhang T, Han Z, Liu J-C, Liu Y-P, Ma J-Y, Li L, Shen W (2015) Transgenerational inheritance of ovarian development deficiency induced by maternal diethylhexyl phthalate exposure. Reprod Fertil Develop, 27, 1213-1221.
2) 国立医薬品食品衛生研究所安全性予測部(2022)OECDテストガイドライン/化学物質安全性情報、http://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecdindex.html (2022. 7.14確認)
3) Kimmel CA, Kimmel GL, Euling SY (2006) Developmental and reproductive toxicity risk assessment for environmental agents. in Developmental and Reproductive Toxicology, 2nd edition (Edited by Hood RD), pp. 841-875, Taylor and Francis.
4) Christian MS, Hoberman AM, Lewis EM (2006) Perspective on the developmental and reproductive toxicity guidelines, in Developmental and Reproductive Toxicology, 2nd edition (Edited by Hood RD), pp. 733-798, Taylor and Francis.
5) Holson JF, Nemec MD, Stump DG, Kaufman LE, Lindstrom P, Varsho BJ (2006) Significance, reliability, and interpretation of developmental and reproductive toxicity study findings, in Developmental and Reproductive Toxicology, 2nd edition (Edited by Hood RD), pp. 329-424, Taylor and Francis.
6) Regan KS, Cline JM, Creasy D, Davis B, Foley GL, Lanning L, Latendresse, Makris S, Morton D, Rehm S, Stebbins K (2005) STP position paper: Ovarian counting in the assessment of rodent reproductive toxicity. Toxicol Pathol 33, 409-412.
7) Parker RM (2006) Testing for reproductive toxicity, in Developmental and Reproductive Toxicology, 2nd edition (Edited by Hood RD), pp. 425-488, Taylor and Francis.
8) Klimisch H-J, Andreae A, Tillmann U (1997) A systemic approach for evaluating the quality of experimental toxicological and ecotoxicological data. Regul Toxicol Pharmacol, 25, 1-5.
9) 松本真理子、高橋美加、平田睦子、小野 敦、広瀬明彦 (2012) OECD高生産量化学物質点検プログラムからOECD化学物質共同評価プログラムへ、化学物質管理、8, 173-232.
10) 国立環境研究所 (2022) 令和3年度 有害大気汚染物質の健康影響リスク評価手法等に関する検討等委託業務 報告書
11) 経済産業省 (2019) 化審法における 人健康影響に関する有害性データの信頼性評価等について(改訂第2版)
https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kasinhou/files/information/ra/reliability_criteria03.pdf(2022. 7.14確認)
12) ATSDR (Agency for Toxic Substances and Disease Registry) (2022) Toxicological Profile fordi(ethylhexyl)phthalate (DEHP), https://www.atsdr.cdc.gov/toxprofiles/tp9.pdf (2022. 7. 14確認)