毒性と化学物質のリスク管理について
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16世紀に活躍した毒性学の父Paracelsusは、「すべての物質は有害である。有害でない物質はなく、摂取用量(ばく露量)に依って毒であるか薬であるかが決まる。」と説いています。今ではやや古典的と言えましょうが今日でもその意味するところは変わっていません。
ある化学物質の有害性はハザード(hazard(危険、障害等))の程度で表すことができます。しかしながら、ハザードの程度が大きくてもその化学物質にヒトがばく露する量(ばく露量)が小さければ、毒性(有害性)は発現しない場合があります。一方で、ハザードの程度が小さくてもばく露量が大きいと、毒性(有害性)が発現する場合もあります。従って、ハザードだけでは化学物質の有害性が実際に発現するのか否かは判別できません。ハザードの対象は、動植物とヒトです。
リスク管理においては、ハザードHとばく露量Qとを共に評価し、それらの比、
Q / H
で、リスクを定義します。この値 Q / H が1よりも大きい場合はリスクあり、即ち、有害性が発現し、この値 Q / H が1よりも小さい場合はリスクなし、即ち、有害性が発現しないと判断するのです。このようにリスクを定義することにより、有害性の発現の“あり”、“なし”を、定量的に取り扱うことができます。2002年にヨハネスブルクで開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議で、この考え方が初めて導入されました。これをもう少しかっこよく言いますと、「化学物質固有の危険性のみに着目したハザードベース管理から、環境への排出量(ばく露量)を踏まえたリスクベース管理へと化学物質管理がシフトした。」と言うことになります。これを契機に、世界中の国々や各地域で化学物質を管理する法律が改訂され、今日まで続いています(US TSCA、EU REACH、日本 化審法等)。
ハザードやばく露量の単位は共に、ヒト単位体重当たり、一日当たりの化学物質のばく露量(摂取量)、mg/kg・body weight/dayで表します。
ハザードには種々の毒性や性質があります。具体的には、一般毒性、発がん性、生殖毒性、変異原性、内分泌かく乱性、そして、残留性、生態蓄積性・難分解性、環境影響(生態毒性)、室内空気汚染、移動性等があります。今後まだ増えるかも知れません。
次にハザードの数値化について具体的にお話ししましょう。数値化したハザードには主にLOAELとNOAELの二つがあります。LOAEL(Lowest Observed Adverse Effect Level)は、動物実験で有害性が現われ始める最小の化学物質量、NOAEL(No observable adverse effect level)有害性が現われることのない最大の化学物質量NOAEL(No observable adverse effect level)です。大小関係はNOAEL<LOAELです。繰り返しになりますが何れも単位はmg/kg・bw/dayです。
これらは実験動物に対するハザード値ですのでこれをヒトのリスク評価に用いことのできるハザード値にするために、動物実験の結果をヒトに外挿する必要が生じます。その際に、ハザードを安全サイドに導くために、個体差や動物種の違いである種差、更には試験条件に割り当てた不確実係数(Uncertainty Factor:例えば個体差10、種差10等)を用います。NOAELを不確実係数で除したハザード値、TDI (Tolerable Daily Intake、耐容一日摂取量 )がリスク評価では用いられることになります。
TDI = NOAEL / UFs (ヒトでのリスク評価をする際のハザード値)
ここで、リスクの定義、Q / H の、H に TDI を代入すると、
リスク = Q / TDI
となり、ヒト、或いは環境へのリスクが評価できることになります。
ヒトや動物がばく露する化学物質の発生源から生き物に到達する経路(route)は様々です。よくリスク評価の検討対象となる経路は、食べ物などと共に口から化学物質が体内に入る経口ばく露、室内等の空気中の化学物質が肺から体内に入る吸入ばく露、手袋等に含まれている化学物質が皮膚を介して体内に入る経皮ばく露があります。ばく露量は時間の経過とともに変わり得ますし、化学物質を含む玩具等の成形品をどのように使用するのかによっても変わります。
近ごろでは、同じハザードを持つ化学物質について、それぞれの化学物質のハザードの比を利用して化学物質の数だけ足し算する累積ばく露(Cumulative Exposure)と言う考え方も近年出てきました。更には、米国ではライフスタイル等の人的環境や自然環境からの様々なストレスも化学物質と同じようにリスク評価の対象としています。
ヒトはどの程度フタル酸エステルを摂取(ばく露)しているのでしょうか?また、安全な摂取量(ばく露量)はどのくらいなのでしょうか?
DEHPを例にとってお話ししましょう。東京都(2000年)や日本食品分析センター(2001年)の分析結果では平均的に2μg/kg・bw/day程度を摂取しているとされています(産総研の詳細リスク評価書 (フタル酸エステル-DEHP-)1)p.6、p.183~184)。従って、体重60kgのヒトに換算すれば0.12mg/kg・bw/dayの摂取量になります。
げっ歯類を用いた動物実験の研究結果から無影響量(NOAEL)を求め、その量をヒトに換算するための安全係数を加味した同リスク評価書によれば、体重60kgのヒトなら1.8mg程度を毎日摂取しても問題がないとされています。
(器具・容器包装評価書(DEHP)2013年2月 食品安全委員会 精巣毒性試験:NOAELが3.0mg/kg/日、安全係数を100とし、TDI(暫定耐容一日摂取量)は30μg/kg/日程度)
日本でのフタル酸エステルのリスク評価はどの様な経緯になっているのでしょうか?
DEHPを例にとってお話ししましょう。前記した産総研の詳細リスク評価書(フタル酸エステル-DEHP-)1)ではヒト及び生態に対して「現状においてリスクは懸念されるレベルではない」と結論付けております。この評価を基にして、製品評価技術基盤機構は、「DEHPのリスク管理の現状と今後のあり方」(2005)2)の中で「現状の管理を継続する必要はあるものの、これ以上の強化は必要なく、また法規制等についてもこれ以上の追加は必要ない、と考える」と表明しています。
食品安全委員会では、食品衛生法の下で器具・容器包装のカテゴリーで、フタル酸エステルのTDIが決められています。(DEHP(2013)、DBP(2014)、BBP(2015)、DINP(2015)、DNOP(2016)、DIDP(2016))
一方で、先にも述べましたように2011年に化審法は改正され、化学物質管理がリスクベース管理へとシフトしました。この時、フタル酸エステルでは唯一、DEHPが優先評価化学物質に指定されました。DEHPの(一次)リスク評価Ⅰは2021年まで続き、2021年3月には(一次)リスク評Ⅰから(一次)リスク評価Ⅱに進みました。(一次)リスク評価Ⅱは2025年から実施される予定です。
1)新エネルギー・産業技術総合開発機構、産総研化学物質リスク管理研究センター[共編]詳細リスク評価シリーズ1 フタル酸エステル―DEHP―(2005)
2)000010068.pdf (nite.go.jp)